胞衣とは、胎児が生まれた後に排出される胎盤や羊膜、へその緒のことを
さすのであるが、胞衣の処理は、法律できめられた業者しかできないようになっている。もともと、大昔から、胞衣の取り扱いは特別になされていた。各地に胞衣が埋められた胞衣塚や、胞衣がまつられた神社などがある。
私は胞衣に興味があり、それをテーマに作品を作りたい気持ちがある。
荒川区にある胞衣取り扱い業者「大正胞衣社」の様子を見に行ったことがあった。その会社の事業内容は下記である。
「事業内容
大正年代創業の胞衣(胎盤等)、産汚物の取り扱い業者です。
東京都では、胞衣は生命体の一部との考えから、明治30年より胞衣等の取り扱いは、条例によって取り扱い業者を規制しています。
現在も都条例によって、胞衣の取り扱いには、「胞衣及び産汚物」取扱業の許可が必要となっています。
弊社は東京都の許可を受け、契約した地域での胞衣および産汚物の収集と処理を行っています。」
生命体の一部、とも考えられていたのかもしれない。
『伊勢半本店紅ミュージアム通信Vol.45 』には下記のように書かれている。
「胞衣は家の軒下、戸口、敷居の下など人がよく通る場所や踏まれる場所に埋める事例が多い。豊島区の巣鴨町遺跡-エクセルイン巣鴨地区-の発掘調査では、胞衣埋納遺構の大部分が中山通に面した表側(通り沿いの境界)で列をなして発見された。
中略
境界に埋められることが多く、「胞衣は、子供と共に母体の中で育った分身のような大切な存在とされながらも、得体の知れないものであり、「どっちつかずの存在」として「境界」に納めたと考えられている。」
中山通という地名をみて、少し前に読んだ『的と胞衣』横井清 の中にも、似たことが記されていたため、目についた。
室町時代の日記に、胞衣を、歌の中山、歌中山清閑寺に埋めたとあるという記述がある。中山とは境界をなす峠であり、境界地名とされているとのことである。
そして、胞衣を埋める役割は差別された河原者が果たしていたとのことである。大正胞衣社も、同和地区の中にある。
生と死の中間にある存在、そして得体の知れない分身とされる胞衣にとても魅惑される。そして被差別的なものとの関係についても、ひきつけられるのである。
とか思っていたら、すでに「胞衣」というタイトルの展覧会をされている作家さんがおられた。私もやるぞ~。