最近、中田あっちゃんが、ダウンタウンまっちゃんを、大半のお笑いコンテストの審査員になっているということについて批判したことが話題になった。
その中で、М-1という、もともと島田紳助がつくり、まっちゃんが審査員をつとめるおおきなお笑いコンテストのなりたちについて知った。お笑いの主流が漫才からはなれつつあったころに作られたコンテストであった。当時は、ボキャブラ天国やエンタの神様といった漫才以外の形のお笑いが盛んになっており、漫才は古いものとして廃れつつあったが、その中で漫才の復古として、М-1が作られたらしいのである。
漫才の歴史に、昔から興味があったのだが、宿神というものに興味を持ち調べる中で、漫才-万歳というもののなりたちについても知ることになった。現代の漫才が、古代中国から日本伝わった、千秋万歳と直接につながっているかどうかわわからないが、かつて神を笑わせるものであった芸が千秋万歳といい、時代のなかで、門付け芸、大道芸などの中にも、三河万歳、知多万歳、等各地に万歳は行われている事実がある(伝統芸能としてそれは今も行われているものもある)。
万歳は、芸能の原点、根本ともいわれる。宿神は、陰陽説によって、障ぎ神(陰)と守護神(陽)の二つの性格を付与され、陰が陽に替わることが人々にとっても重要なことであった。それは、猿楽の笑いによって陰から陽へ替わるのである。猿楽の本舞は「翁の舞」であるが、ここに宿神が出現する。この舞が伝えるものが千秋万歳であり、それは不死の観念である。民衆はここで、不死の観念に出会うのである。
この舞は、かつては神を笑わせるものであったが、時が流れ、民衆芸能となり、人間を笑わせるものになった。今も、笑いは人の心を軽くさせる、陰を陽に替える、と同時に、かつては不死の観念を民衆に伝えたように、何かを伝えるものであるのかもしれない。
その流れの中に、今のお笑いものあるのだと思う。
参考文献『宿神(しゅくじん)思想と被差別部落』水本正人 /明石書店